今回はまず最初に、とある絵を紹介したいと思います。
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http://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/16_%20coudenhove.html
これは、オーストリアの画家であるミヒャエル・クーデンホーフ=カレルギーさんの「機械じかけの魚」という作品です。
水彩画なのですが、ベタ塗りではなく大量の点や短い線でこの絵が描かれているのがなんとなくおわかりいただけるでしょうか?
この絵とは、東京・渋谷のBunkamuraで開催されていたミヒャエル・クーデンホーフ=カレルギー絵画展で出会いました。(絵画展は既に終了しています。)
絵を見てふと思う
この絵を見てわたしはふと、「文章を書くということは、この絵を描くことに似ている」と思いました。
文章というのは文、もっと言うと単語から構成されています。単語が集まって表現が生まれ文となり、さらにその文が集まってひとまとまりの文章になっていますよね。
一方この絵は、先ほども書いたように点や短い線によって構成されています。
近くから見るとそれらは単にただの点や短い線の集まりですが、遠目からみるとそれらがちゃんと「機械じかけの魚」というひとつのモチーフとして認識できるのです。
わたしが「文章を書くということは、この絵を描くということに似ている」といった意味が、なんとなくお分かりいただけたでしょうか?
もっと言うとわたしは、文章を書くときに「どんな単語を使うのか?どんな表現にするのか?どんな構成にするのか?」を考えることは、ミヒャエル・クーデンホーフ=カレルギーさんの絵において「ひとつひとつの点や短い線をどんな風に描くのか?(色は?大きさは?)どんな表現で描くのか?(濃淡をつける?ぼやっと描く?はっきり描く?)全体としてどんなモチーフにするのか?」を考えることに似ているように感じたのです。
同じ色ばかりではつまらない。
単調な表現では面白くない。
個々の要素が目立ちすぎてもダメ。
文章もそれと同じではないかと思うんです。
ならばわたしは、彩のあるカラフルな単語を使いたい。
わたしなりの、豊かな表現がしたい。
全体として、調和のとれた文章が書きたい。
そして最終的にわたしが書いた文章が、ブログ記事が、この絵のようにひとつの作品としてみなさんに楽しんでもらえたらいいなあと強く思うのです。
まとめ
ミヒャエル・クーデンホーフ=カレルギー絵画展が開催されているということは、Bunkamuraに行ってたまたま知りました。
時間があったのと無料ということで立ち寄ったのですが、このように思わぬ形で「文章を書く」ということに思いを馳せることができたので行ってよかったなあと思います。
Bunkamuraに行った日は絵画展の最終日で、しかもミヒャエル・クーデンホーフ=カレルギーさんご本人(たぶん)もその場にいらっしゃいました。
何か、巡り合わせのようなものを感じてしまいます。