Photo by Lulumière
昨日、心屋仁之助さんのブログで『■さみしい・・・』という記事を読みました。
内容を簡単に説明すると、「さみしい」「悲しい」「腹が立つ」といったネガティブな感情も、思い切り感じきろう!ということが書かれています。
この記事を読んで感じるところがあったので、今回は「さみしい」という感情について、わたしがここ数日考えたことをつらつら綴ろうと思います。
わたしがさみしさを感じるとき
わたしはよくイベントやセミナー、勉強会に参加しますが、それが終わって家に帰ると急激にさみしさを感じることがあります。
それまで大勢の人とわいわい楽しい時間を過ごした分、ひとりになると急にさみしさが募るというか…。
で、この間の土日も東京でF太さんのカフェに行ったり、WordPressの勉強会に参加したり、翌日展覧会に行ったり美味しいもの食べたりと本当に楽しい時間を過ごしまして、帰りの新幹線の中でまたとてつもないさみしさがわたしを襲いました。
それこそ、泣きそうなくらいにね。
ブログを書きながらふと気付く
ショボーンってしながらもその日の分のブログを更新しようと思ってF太さんのカフェに行ったレポート記事を書いてたんですが、そのときふと気付きました。
あぁ、この2日間最高に楽しかったんだなあって。
最高に楽しかったからこそ、泣きそうなくらいさみしいんだなぁ…って。
そう気付いたとき、なんだかさみしいという気持ちがとても愛おしいものに感じられました。
それは紛れもなく「完璧な瞬間」だった
ジェームス・スキナーさんの著書「100%」にこんな一節があります。
人生のスコアカードは、こういう完璧な瞬間をいくつつくれるのか、それで計る!
あなたの人生において、どのくらいの完璧な瞬間をつくっているだろう?
・忘れられない思い出をいくつつくっているだろうか。
・唖然とするような美しさをいくつ見ているのだろうか。素敵な仲間と最高に楽しんだことは、どのくらいあるだろうか。
・突拍子もない冒険をいくつ楽しんだのだろうか。
・自分の限界を超えてチャレンジしたことは、何回あるのだろうか。どのくらいの愛を表現し、そして愛を受け取っているだろうか。人生は愛と冒険だよ!
それ以外に何もない。
そう、この間の2日間は、わたしにとってこの「完璧な瞬間」だったことに他なりません。
先日、わたしにとってとても大切な存在だったつるにぃがこの世を去りました。そのことでとてつもないさみしさに襲われましたが、それもわたしがつるにぃとたくさんの「完璧な瞬間」を過ごせていたという何よりの証拠だと思います。
さみしさの分だけ、わたしは幸せな時間を生きてる。