わたしが今まで苦手だった書評を書けるようになった2つの理由

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最近、わたしはこのブログで書評を書き始めています。

【書評】 すごい手抜き -今よりゆるくはたらいて、今より評価される30の仕事術-

2015.12.23

学生の頃から社会人4年目となった今に至るまで何かしらのブログを持っていましたが、実はちゃんとした書評を書くのはこれが初めて。

というのも、わたしは今まで書評を書くのが大の苦手だったからです。本を読むのは大好きなのに、書評を書くとなると途端に手が止まってしまっていました。

良い本に出会ったらその本の良さをたくさんの人に伝えたいのに、どうしても書評が書けなくて悶々とする。そんな状態だったわたしが、今ではスラスラと書評が書けるようになりました。

では、なぜわたしは今まで苦手だった書評を書けるようになったのか。そう考えたとき、そこには2つの理由があることに気付きました。

今回はそのことについてお話しします。

わたしの中に存在した2つの不安

そもそも、なぜわたしは書評を書くのが苦手だったのか。最初は単純に文章力の問題かと捉えていたのですが、書評を書こうとしたときのことを思い出すと、わたしの中には大きく以下の2つの不安があったということに気付きました。

 

1. 作者の考えをわたしが本当に理解できているのだろうかという不安。

2. 書評を読んだ人から「それは違うでしょ」と言われたらどうしようという不安。

 

この2つの不安が解消されたことで、わたしは書評が書けるようになったのです。この2つの不安がどう解消されたのか、それぞれ詳しく説明したいと思います。

1. 作者の考えを本当に理解できてる?

学生時代の苦い思い出

書評を書くとき、わたしは常に「わたしの理解は本当に正しいのだろうか?」と不安に思っていました。

なぜそんなに不安に感じていたのかというと、学生時代に国語が苦手だったことが原因だったのではないかと思います。特に長文の読解問題には苦しまされた思い出しかありません。わたしがテストで「作者はこう考えているだろう」と思って答えを書いても、大抵バツがついて返ってくる。

だから、社会人になってからも自分の読解力に全く自信が持てませんでした。

わたしを救ってくれた谷川俊太郎さんの言葉

そんな中、たまたまチケットを余らせていた友人のおかげで今年の9月に谷川俊太郎さん・賢作さん親子の詩の朗読会へ行く機会に恵まれました。

 

そこで谷川俊太郎さんが、こんなことを仰っていたのです。

僕の書いた詩の中には、国語の試験問題になっているものもあります。その問題を自分で解いてみたら、答えが違っていました(笑)

作者の考えを問う問題の正解が、なんと作者自身の実際の考えとは異なることがある。

それを知ったわたしは、ものすごく救われた気分になりました。

国語の問題における正解とは?

よくよく考えてみればそれももっともだと思いませんか?

国語のテストでは、問題となっている文章から根拠となる記述を探し出し、「こういう根拠があるからこう考えているはずだ」という推測を元に解答しますよね。でも同じ根拠でも、受け取り方って人それぞれだと思うんです。

同じAという根拠があったとしても、人によってはBと解釈することもあればCと解釈することもある。正解になるのはあくまで最も客観性のある、つまり世間一般の人が考えている答えであって、それがイコール作者の考えとは限らないわけです。

作者の本当の考えは、作者の中にしかない。読み手の考えは全て推測でしかないのです。

そう考えると、なんだか自分が今まで悩んでいたことがとてもちっぽけなことに感じられました。

2. 「それは違う」って言われたらどうしよう?

違いを指摘される恐怖

書評に限らず、わたしは自分の理解や解釈に対して他人から「それは違うんじゃない?」と指摘されることにわたしはとにかく恐怖を感じていました。

なぜ恐怖に感じていたのかというと、「そう言われること=自分自身を否定される、『そんなこともわからないの』とバカにされる、嫌われる」と思っていたからではないかと思います。

だから、無意識のうちに書評を書くことにたいしても恐怖を感じていました。

違いは”あって当たり前”

ですがわたしはこの1年、様々な経験を通して考え方に違いがあるのは当たり前と思えるようになりました。

※どんな経験をしてきたかは説明すると長くなるので、気になる方はこちらの連載をご覧ください。

新連載「ぱっかーん奮闘記」はじめます!

2015.11.30

本を書いてる人も読んでる人もわたしも今までの人生において全く違う経験をしてきたわけで、そもそも考え方のベースが異なるのです。考え方のベースが異なれば同じ本を読んだとしても受け取り方が違うのは当然だし、そこから考えること・感じることも違って当然だと思いませんか?

だからもし仮にわたしが書いた記事に対して「それは違うんじゃない?」って言う人が出てきたとしても、「ああ、あなたはそう考えるんですね。わたしとは違う考え方なんですね。」って、受け入れればいい

それに本の内容を正確にまとめ上げるだけの記事であれば別にわたしじゃなくてもできる、というかわたしが書く意味がありません。わたしの受け取り方、わたしの感じ方・考え方で書くからこそ、わたしが書く意味が生まれてくるのではないかと思っています。

そう思えるようになったことで、人から意見をもらうことが怖くなくなりました。むしろ今では、「そういう考え方もあるんだ!」という新たな気付きが得られる貴重な機会だと感じています。

まとめ

あなたは、思ったように書評が書けずに「ああ、自分は文章力がないんだ」と落ち込むことはありませんか?

でも、わたしが書評を書けなかった原因は、「文章力がない」といったような技術的な問題ではなく心理的な問題でした。

「作者の考えを全て理解することなどできない」、そして「他人と考え方が違ってもいい」。そう思えたことで、書評が書けるようになったのです。

もしあなたも書評を書けずに悩んでいるのなら、この記事が少しでもあなたの心を軽くしてくれればと願ってやみません。

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